2000年代のアニメ業界のメインとなったジャンルの1つは間違いなく「日常系」です。

可愛い女の子達が何だかゆるーくきゃっきゃしている、あの感じです。

そしてもう1つ、2000年代のアニメの王道とも言えるのが所謂「鬱アニメ」。

 

 

鬱アニメが流行の中心に

いやあ・・・鬱まみれ!

 

ここまで鬱アニメが流行の真ん中に根付いたのは、現代社会で生きる我々の葛藤や悩み、「上手く行くはずがない」という思考回路を体現しているからに他ならないと思います。

 

とことん打ちのめされた登場人物達が、一体どのように鬱展開を打破するのか・・・はたまた脱する事が出来ないのか。

打破するならそこに希望を見いだせるし、脱せないならそれもまた現実だし。

とにかく不幸なのは自分だけでは無いと言うことを再確認したくて打つアニメを見ているような気がします。

 

正直、鬱屈した現代社会に疲れきった人々の心からすれば、鬱アニメなど絶対に見たくないはずだと筆者は思うのですが・・・

それっぽい作品をパっと思いつくだけ挙げると「魔法少女まどかマギカ」、「進撃の巨人」、「Wixossシリーズ」、「東京喰種トーキョ―グールー」、「STEINS;GATE」、「がっこうぐらし」、「魔法少女サイト」、「Lost Song」と2000年代初頭から2018年春アニメに至るまで鬱アニメやそれに近い展開をする作品は中々にヘビー且つ屈指の名作ばかり。

 


(C)諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会
アニメ「進撃の巨人」より引用

 

いやあ、こうして作品の名前を挙げるとなかなかの名作揃いですね。

もっと前の世代だと「新世紀ヱヴァンゲリヲン」や「伝説巨神イデオン」、「エルフェンリート」などなど・・・。

当サイトでは「鬱アニメランキング」を作っているので、是非こちらもご覧下さい。

 

鬱アニメの原作とされる漫画やライトノベル、ゲームの多くはダークファンタジーと呼ばれるジャンルが多いですが、これらの特徴は他のジャンルに比べると非常に文学的である事。

また、そんな「文学」の中心の一人である虚淵玄氏に至っては、仮面ライダー鎧武の脚本まで手掛け、子供向けの特撮番組にも関わらずハッピーエンドとは言い難く文学的で子供にとっては難解なオチをつけたことがSNS上で話題となりました。

 

勿論、日常系の勢力が弱まったとは言いません。

可愛い女の子とゆるい展開は心の拠り所として定番化していますが、流行の中心に渦巻いているのは鬱アニメが発する闇です。

確かに、文学的な表現で表される闇は、人間の心に深く強く訴えかけ迫ってきますが、何だかパンドラの箱を開けてしまったような感じもしますね。

 

日常アニメに潜む鬱アニメ展開

実は、可愛い女の子とゆるい展開を中心とした日常系に関しても、この闇は迫ってきています。

例えば、オープニングとキャラクタービジュアルの可愛らしさから「ご注文はうさぎですか」の後継として注目された「がっこうぐらし」。

 


© Nitroplus/海法紀光・千葉サドル・芳文社/がっこうぐらし!製作委員会
アニメ「がっこうぐらし!」

 

「がっこうぐらし!」はなかなか衝撃的でした。

鬱アニメと日常系アニメを足して2で割らない感じの作風が新しい印象でしたね。

 

アニメが始まった当初はただの日常系だったんですが、実際の景色と主人公が見ている脳内景色が違っていて・・・実際の景色が視聴者に届けられた瞬間は、なかなかの絶望具合だったことを覚えています。

当初こそ「ごちうさ」の後継ではないかと期待されていたのに、それを盛大に裏切る展開はネット上で大きな話題を呼びました。

 

また、可愛らしいキャラクターにまるで教育番組のような展開だったのに、実は儚げな鬱展開を孕んでいた「けものフレンズ」もあります。

 


けものフレンズプロジェクト・ヤオヨロズ
アニメ「けものフレンズ」より引用

 

萌え展開を想像させるキャラクターや設定にすら湿度を持たせ闇を盛り込む「鬱展開」は、最早現代日本の文学観でありお家芸なのだと言えるかもしれません。

ですが何より、こういった文学観が生まれるバックグラウンドとして、現状から逃れなれない悲痛な想いの強さがあります。

 

日本の場合、人を追い詰める手段に対する考え方が非常に陰湿。

湿気だらけです。

それは昔からだったのでしょう。

 

現代社会では情報が発達し遠い異国のカラっとした土壌が見えてきた為、より顕著にじめっとしたブラックな国の現状に、多くの若者が気づきました。

インターネットの台頭やスマホの普及で更に加速度的に日本の湿度と闇に対し、鬱アニメのキャラクター達に対して自分を重ねる事で一種のカタルシスを得ていたとも言えるでしょう。

 

 

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異世界アニメに視聴者が求めるもの

さて、近年アニメのにもう1つ爆発的に数を増やす勢力があります。異世界転生からの俺TUEEEやハーレム展開です。

無双するか

超モテるか

或いはその両方か。

 

作品を上げると「ノーゲーム・ノーライフ」、「聖剣使いの禁術詠唱」、「異世界はスマートフォンと共に」、「この素晴らしい世界に祝福を」など。

 


(C)2014 榎宮祐・株式会社KADOKAWA メディアファクトリー刊/ノーゲーム・ノーライフ全権代理委員会
アニメ「ノーゲーム・ノーライフ」より引用

 

一度死んで異世界や違う時間軸に転生した後、チート能力持っていたり、急に美女に囲まれたり、というやつです。

このジャンルの爆発力は半端ではありません。

 

元々は某同人小説投稿サイトがキッカケで生まれた大量のライトノベルが原作ですが、そこに同人絵師が結びつく事で商業的に大きな成功を収めはじめます。

良質なオリジナルコンテンツが不足し出したのも追い風となり、それらが短期間で一気に漫画化、更にはアニメ化されていきました。

 

このジャンルは鬱アニメとは間逆のメンタリティを持つ作品ですが、実際には鬱アニメと非常に密接な関係があるように筆者は感じます。

鬱アニメが多くのアニメファンの鬱屈した現実であるとしたら、これらの作品群は現実の中から屈折して見る理想や願望なのです。

 

恐らく、このターニングポイントとなるのは「ソードアート・オンライン(以下SAO)」シリーズではないでしょうか。

 

(C)川原 礫/アスキー・メディアワークス/SAO Project
アニメ「ソードアート・オンライン」より引用

 

SAOで題材されたのはゲームですが、主人公は現実の中で鬱屈し仮想現実に安寧を求めました。

これは現在の「異世界転生」系のルーツの1つとなっていると筆者は感じます。

 

また、SAOの最初期はどちらかと言えば鬱アニメでした。

やがて主人公であるキリトが成長していくにつれ俺TUEEEやハーレム展開が増えていきました。

そしてキリトは、仮想現実は勿論、ゲームを離れた現実でも充実していきます。

 

この展開に、多くのアニメファンは「俺も本当はこうなりたい」と思った筈。

そして、ここで大きなポイントはキリトが自己実現に至る過程の殆どが仮想現実であった事。

辛い現実を直視したのではなく、屈折した所から現実を見たのです。

 

個人的な意見ですが、昨今のアニメ事情は、「鬱アニメ」に現実と自分を投影させる事で屈折させた場所から希望を見出した結果、「異世界転生」が生まれたのではないでしょうか。

また、「日常系」が定番となった背景は、自分を保てなくなった時のための緊急シェルターなのでしょう。

 

屈折というと何だか良くない感じがしますが、筆者は屈折していても良いのではないかと思います。

今の日本の現実は直視するのが難しいと思います。

最初は屈折していても良いし、直視して強く行動しなくたって良い。

 

クリエイター達にそんなつもりはないと思いますが、鬱アニメにはある種の人生のレベル上げ場になっていると思います。

因みに今期お勧めのレベル上げ場は個人的には「Lost Song」。

 


© MAGES./LOST SONG製作委員会
アニメ「Lost Song」より引用

 

 

ゆかりん圧巻の闇堕ち鬱展開は必見なので、王国民ならずとも是非ご覧になってください。